ボツワナ1周
2月21日から28日の行程でボツワナ1周の出張に出てきました。
行程はざっと3500㎞ぐらい。モザンビークを襲ったサイクロン「Dineo」の影響で、ボツワナ上空に低気圧(Dineo-Exなんて呼ばれてました)の停滞があり、大雨が降り続いた1週間でした。
大雑把な行程は以下の地図の通りです。
https://goo.gl/maps/RUGGvUUJ76y
地図上の日本語表記はおそらく自動翻訳だと思うのですが、まるで発音があっていません。Gaboroneはハボローネですし、Ghanziはハンツィ、Tsabongはツァボンです。
首都のGaboroneを出発し、A1を北上します。まずMochundiで会議を行いましたが、その後Mochundiは河川の氾濫に見舞われたようです。
☆MochudiのWild Life事務所でハタオリドリの巣作りを見かけました。このハタオリドリは英語でMasked Weaver、顔が真っ黒じゃないのは若いからか?
そしてBotswanaの国家的スタート地点でもあるSeroweへ。Seroweは初代大統領のセレツェ・カーマの部族がいたところで、Botswanaの作家ベッシー・ヘッドが住んでいた町でもあります。ここで一泊しました。
そして次にボツワナ第二の都市であるFrancistownへ行きます。こちらでも小さなコテージに一泊。そしてMasungaに向かいます。
☆Francistown近郊の検問所付近で露天商がPani(モパネワーム)を売っていました。オレンジ色のはあまり見かけない種類ですが、味は同じでニボシみたいな味でした。マグカップ1杯でP12-15ぐらいが相場ですが、P20払うとか言うと2杯くれたりします。
Masungaで会議を行い、MasungaからA3で一路オカバンゴデルタの玄関口になるMaunへ向かいます。道路が閉鎖されるんじゃないかと心配しながら、半分冠水した道路を進みます。右も左も灌木林が水没していて大きな川のようになっています。
☆丸い土づくりの建物が伝統的な家。
☆続く大雨で道路が冠水していました。Masunga-Maun間のA3道路ですが、我々が通過したこの後に、道路の一部が崩壊し通行止めになっていました。
☆そして冠水した道路の反射が美しいこと!
左手には広大なMakgadikgadi pan(マカディカディパン)があるはずなのですが、この時期は雨期で塩湖になっているため、自動車で進入することはできません。「ああ、あの空の下にマカディカディパンがあるんだな」と思うだけです。
☆あの空の向こうにMakgadikgadi Pan!
Spherical Image | RICOH THETA
☆全方位地平線のアフリカらしい景色 #THETA
道路わきにゲムズボックやゾウを見て、かなり進んだところでやっとMaunに到着です。ここで投宿、なんだか豪勢なホテルでびっくりお値段は8000円ぐらいでしょうか。
Maunからかなり戻ってKhumagaで会議。こちらは行政官との会議ではなくCulture Villageプログラムのテストサイトになっているので村民らと村の会議場所であるKgotla(発音はコークラ)というオープンスペースで会議を行います。長老がいて、村の代表者らが集まってきて会議をやるのですがセツワナの分からない僕には何を言っているのか2%ぐらいしか分かりません。悔しい! この悔しさが糧になるのですね!
土曜日はオフでMaun観光の予定でしたが、9時に迎えに来ると言っていたCPが迎えに来てくれたのはすでに15時でした。CPのMaun仲間と一緒にドライブを楽しみます。
☆Island Safari Lodgeからの眺め。時間が遅かったのでボートツアーなどは諦めました。アクティビティのお値段はやや高めです。
まずはIsland Safari Lodgeを訪問して、その後にMolemi国立公園に向かう方向へドライブしました。時間が無かったので途中のバッファーゾーンで引き返してきましたが、ゾウとライオンとキリンとシマウマを見ることができました。
☆道中で見かけた若い雄ライオン。口周りが血で汚れているので食事後か狩りの後。雄ライオンが単独行動することは少ないので、周囲を確認したがこの時点では他のライオンを確認できず、復路で茂みに潜む雌ライオンを2頭見つけることができた。ライオンがどういった生態でいるのかを知っている人たちが同僚らなので、こういうところを訪問する時はとても頼りになります。
日曜日は移動日、MaunからGhanziに行って一泊。
☆2月26日は夕方に金環日蝕が南米から南部アフリカで観察できました。完全蝕はアンゴラやPRコンゴあたりでしたが、ボツワナでも半分以上が欠けている様子が確認できました。カメラの太陽用フィルターを持っていなかったため、サングラスのレンズを2枚重ねにして、露出を抑え、シャッタースピードも最低にして撮影してみました。実際はめちゃくちゃ明るい丘の上に来ています。天候は曇りだったのですが、ちょうど日蝕の前後は雲間に太陽が来てくれたため、日蝕の観察はバッチリできました。運が良かったです。
Ghanziはサン族のいるエリアです。昔は定住をせずにいた彼らが再定住を政府に支持されて定住化しています。こちらでも会議をして、Tsabongに向かいます。
☆どこもかしこも緑の草原と灌木林。そして牛、山羊、ロバ、馬! 馬以外は平気な顔して道(都市間高速道路さえも)を塞ぐので、夜の移動は危険がいっぱい。
Tsabongは地図上ではカラハリ沙漠っぽい感じで砂漠が広がっているんじゃないかと期待しましたが、こちらも青々と森が茂っていました。草原と森林が青々とはしていますが、私は一応生物学出身なので植生の変化には気づきます。しかし植生が変わろうともどこまでも緑いっぱい。
☆Tsabongあたりは少しだけ灌木が減りますが、沙漠に近いイメージ…とはなりません。地平線が見えやすいとかそんなところです。
まだ雨期だということと、今年は雨が多く降ったこともあるのでしょう、ボツワナはどこも緑に覆われており、茶色い砂の中に灌木がまばらに生えているイメージは全く間違っていました。もちろんあと3か月もすれば乾季で下草はみんな枯れ、木の葉も落ちるのでしょうが、このシーズンに関しては緑がいっぱいで雨も毎日のように降っていました。
Tsabongで一泊したら、Gaboroneに帰還です。これまた500㎞ぐらいある道を移動します。
そこで憧れのフンコロガシと出会うのですが、その話はまた別なエントリーで書かせていただきます。
これまで1か月間の現地語学研修で首都に滞在していましたが、一気にボツワナを一周して、野生動物にも出会えて、なおかつ植生の変化にも気づけてとても充実した1週間でした。
惜しむらくは現地語のセツワナが使えないこと。やはり現地の方たちは現地語でコミュニケーションをするので、会議の議事が見えない。地域や参加者によっては英語混じりになるのですが20%ぐらい英語でもそれ以外はセツワナで、しかも英語とセツワナは区別されずに混じりまくっています。文法が異なるのにシームレスに混じり合うことが不思議です。
そのわずかな英語から意図を理解しようと努めますが今の所は無理です。引き続きセツワナのトレーニングをしないといけません。
プーラ!
カラハリの夜明け ブログタイトル変更
ブログタイトルを変更しました。
これまでの「カラハリまであと13,631km」というのはGoogle Mapでその時に距離を測ってみたところから仮題として採用しました。
ボツワナに到着してから本題をつけようという思いだったので仮題でした。
自分の名前は英語圏の人には少し音が多いのでマサと呼んでもらうことが多いです。ボツワナ人は名前にセンテンスをもってく人が多いのでさらに長い人もいるのですが、やはり呼び名は短くするようで、イニシャルを使ってTKみたいに呼び合う人が多かったりします。
自分のマサという呼び名はセツワナにも同じものがあってMasa: Dawnになります。
夜明けとかこれから始まるって意味です。ちょうど良いじゃないかと思ったので、自分が迷わないためにもMasaと呼んでもらうことにしました。
前置詞がコロコロ変わるので覚えにくいのがセツワナなんですが「カラハリの夜明け」をセツワナにするとタイトルにある通り「Masa a Kgalahadi」になります。
ちなみにKgalaは「乾燥した」でhadiは「母なる」とかそんな意味になるそうです。乾燥した大地を、それでも母と呼ぶボツワナの人たち、いいですね!
ブログ名を更新しましたが、今週いっぱいは研修期間で、まだ現場に飛び込むことができません。もちろんカラハリ沙漠で夜明けを見たことはまだ無いのですが、いつかその景色を見てきたいと思います。
針刺し事故とその対応について
ボツワナはHIV罹患率が23%と言われており、HIVが大きな社会問題である。
本日、ロータリークラブの例会に参加した帰りにコンビと呼ばれる日本のバン(主にハイエース)を改造した旅客バンで帰路についたのだが、ここで問題が発生した。
運転席と助手席に2、その後ろに3+3+3+4で無理やり座るために、かなり無理がある設定な上にシートベルトが無い。
走り出した時に壊れかけのドアが開いちゃったりするので危険極まりない。
乗車する人たちは比較的貧しい階層の人たちなので、座った場所によっては車内でスリに遭う可能性もあるし、外から引ったくりに遭うこともたまにあるらしい。
バス停のように街中に停留所が設けられていて、だいたいその辺で乗り降りをするが運転手次第ではオンデマンドで乗り降りもさせてくれる。それどころか指定路線を越えて走るコンビに出くわすこともある。
コンビに乗るならタクシーにしよう…これまで何度かコンビに乗ってみたけど、安全面から今はそんな風に思う。
閑話休題、本日の問題。
乗ったコンビで奥の席に座っている人が降りるので、手前に座った自分が立って出してあげることになるのだが、席に戻る時に座席の肩部分に手をかけたところ、指に針が刺さった。
#親指と人差し指の間に見えている背当てクッションを留めているであろうステープルの針先。
これは間違いない、罠だ!!!
#薬指の先端に刺さりました
この誰でも刺さりそうなところに針が出ていて、所得の低い階層が利用するコンビでその針に刺さったというところから、感染症の心配をした。
日本ならば、こんな傷はどうでもいいことだが、ここはHIV罹患率が非常に高いボツワナなのだ。あまり笑い飛ばせない。
肝炎と破傷風はワクチン接種を済ませているがHIVのワクチンはまだ無いのだ。
調べてみると暴露後予防内服という方法があるのだという。
血液・体液曝露事故(針刺し事故)発生時の対応 | エイズ治療・研究開発センター
そんな事は何も分からない状態で、とりあえず、すぐに血を吸った。痛くなるほど吸って吸って、少しでも血液と一緒に出るものがあればと思い吸った。石鹸も水道も無いので洗うよりも吸うしか思いつかなかった。
次にJICA事務所に連絡をした。
「とりあえず病院に行ってください。費用は出ますのでご安心ください」とのことで、一旦は寮に戻り、背広から着替えてタクシーに乗って、Life Gabrobe Private Hospitalに向かいました。
ボツワナの病院事情ですが、今まさに医療事情改善を目指してボツワナ大に医学部が設置されたりしています。そして国が比較的裕福なので医療費の補助が多く、公立病院では安く診療を受けることができます。そのため、多くの人が公立病院に行くことになり、待ち時間がとてつもなく長くなっているそうです。
一方でPrivate Hospitalと呼ばれる市立病院はいわゆる自由診療専門病院になるため、費用が桁違いに高くなりますが、金持ちしか来れなくなるため、待ち時間が短くて済みます。
医療技術レベルでは公立病院も私立病院も同じ程度のようです。
受付ではパスポートを見せてと言われ、電話番号を訊かれました。さらに身元保証のために2人のボツワナにいる人を教えろと言われました。
それが終わるととりあえず着いてくるように言われて行った先がERのトリアージ(治療前判別)室です。
なるほど、確かにワンストップシステムとしては間違っていない気もしますが、ER…なのかな? 向かいにはトラウマ処置室があったりします。
General Nurseのトリアージを受けると、「コンビで針が刺さったの? それは汚いわね」という反応。現地の人でもそういう反応をされるのがコンビなんです。
アレルギーは無いか、糖尿病などの既往症、手術歴は無いかなどを訊かれたら、少し待つように言われて、待っていると診療室に通されます。
医師に針刺し事故のあらましを説明をすると、確率が高いとは言えないものの、危険性が無いとも言えない状況なので、ARV(抗レトロウイルス薬)の処方を勧めますとのこと。
そのためにはHIV検査と肝臓、腎臓の検査をしたいというので、トラウマ(外傷)処置室で血液を抜かれ(もちろん針とシリンジは使い捨てタイプ)、名前だけ書いた自分の血液が入ったチューブと検査要請書を持ってラボ(検査室)に自分で持って行きます。
#トラウマ処置室、ベッドの上に使われた後の使い捨てシーツなどが生々しい。
ボツワナでは、病院に入っているラボなどのユニットはそれぞれが独立しているのでそれぞれのところで登録が必要になり、支払いも生じます。病院という大きな屋根の中に、独立したセクションや専門医が店子として入っているイメージです。
ラボからの指示が無いのでERに戻ると「何か言われた?」とドクターに訊かれたので、ラボに戻って結果が出るのがいつかを訊きます。およそ30分とのことで、ここはとても早い。
30分が経ったのでラボで結果を受け取ると(受け取りサインや本人確認は無し)、それを持ってERのドクターに手渡しします。
ちなみにHIVはこの時点では即時検査で陰性でした。
ドクターが受付が指示をするので座って待つようにと言うので待っていると受付から処方箋と費用請求がありました。
処方箋を持って薬局に行くと、また登録があり、お薬をもらっておしまいです。
#処方されたのはATRIPLAというARVです。
上に貼ったPEPの推奨を見ると本剤は入っていませんが、その理由は日本では未認可の薬だからのようです。
調べてみると
http://jp.wsj.com/layout/set/article/content/view/full/476957
アトリプラは、ギリアドの「ツルバダ」(一般名:エムトリシタビンとテノホビル)と米ブリストル・マイヤーズ・スクイブ(NYSE:BMY)の「サスティバ」(一般名:エファビレンツ)の合剤。
ビジネス・企業 / グラクソと塩野義の抗HIV薬、ギリアドのアトリプラ上回る結果 / WSJ日本版 - jp.WSJ.com
という記事が見つかったので、エファビレンツはよく分からないものの、アメリカでは一般的な3剤合剤で、安心していいのかな。
何れにしても、今回の件で針刺し事故を経験してみて思ったのは、どんな時でも大事をとって適切な対応をすることが必要だということだ。
その結果としてリスクをかなり低減することは可能な場合もある。
もちろん針刺しにあわないことが大切だが、どんなところにリスクが隠れているかは誰も分からない。
良い経験ができたと思いたい。
セツワナネーム
一部の日本人名はそれほど難しくないが、外国語なので分かりにくいという事で、セツワナネームを付けられる事がよくあるそうです。
セツワナの講師にセツワナネームを付けて欲しいと頼んだりもしましたが、最初に言われたセツワナネームで通す事にしました。
MASA
英語だとDawn、日本語だと夜明けです。
日本名の一部を使うので自分も迷いませんし、意味も悪くないのでこれでいきます。
それに伴って本ブログの名前も変更しようと思います。
派遣先組織訪問
任国での到着時訓練の中に派遣先となる組織の調査訪問が入っている。国によって呼び方ややり方が異なるようだが、ボツワナの場合はField Tripと呼ばれ、全四日間の行程で派遣先組織までの移動方法調査、組織との調整、旅程表作成までをこなす事になっている。必要な費用はJICAの経費として処理をする。
JICAオフィスのあるハボローネが任地の私は交通手段に難しいところはなく、初日にやるべき事はほぼ果たせました。
唯一困ったのが事務所の位置がしっかりと分かっていない状態で訪問したので、少し戸惑った事です。
言われていたように看板を探して歩いていたら見つけました。
ここから先の詳細が分からずに電話したのですが、実は朝にメールで詳細地図を送ってくれていたそうです。もう少し早めに欲しかったよ。
事務所に到着するとマルーラの樹が迎えてくれています。
最初の面談なのでネクタイ締めていきました。お気に入りの桜と折り鶴柄のロータリー財団ネクタイ。
出迎えてくれたのは所長代理。
事務所で所長らと話をして、今回の調査項目を再確認して目的完了といきたかったのですが、住居については特に決まっていないとの事で、Security & Safety firstでお願いしましたが、先方が見つけられなかった場合はJICAで探す事になるようなので大変です。
探し方はどちらにしてもネットで探して不動産屋に行くだけなんですけどね。
組織の概要説明が終わると全スタッフ招集で自己紹介タイムですが、元より名前を憶えられない自分が、異国の名前が覚えられる気がしません。財務とマネジメントを除くと、PRユニット、環境プロジェクトユニット、保全プロジェクトユニットなどがあるようです。
少しだけいないみたいですが、メンバー集合です。
自分はとりあえずPRユニットの人たちと組織の内外を知り、相手を知る事から始めて、カウンターパートとなる環境プロジェクトユニットで多くの事に参加したら良いだろうという話になりました。
この最初が肝心です。二年間の期限付きボランティアなのでできる事が限定的であること。なんでもやるが、長期プロジェクトのリーダーなどを任された場合には責任を取れない結果になるということ。基本的には内部と外部の目線を活用した業務支援とアドバイスになるという事を伝えたところ、理解しているとの反応でした。
期限付きボランティアとして赴任して、事業の一部を丸投げされ、優秀で安い労働力として使われてしまう話はよく聞くので、この話がとても大切だと思っていたので、きちんと話し合いが持てて、理解を得られたのは良かったです。
ここでみんなにポッキーと男梅キャンディを配りましたが好評でした。
ランチをCEOとCEO代理と一緒にとり、帰りは送ってもらいました。
Field Tripの目的が一応達成されたので、明日からは3日間フリーになります。
1-2日と先輩隊員の任地訪問を計画していましたが、ギリギリのところで明日はKCSの代表らと大使館訪問する事が発覚してスケジュールを変更しました。
3日には地元のロータリークラブを訪問する予定なので、空いているのが2日だけになりました。
遠方へ日帰り往復をすべきかどうかで悩みながら、今日もふけていきます。